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プロフィール

 昭和47年の12月、市教委・社会教育課にその4月に配属されて半年余りで、初めて自分が企画した事業が実施されました。それは教委主催の『長岡京市・少年サッカー教室』でした。

 勿論、講師は23歳になりたての私一人で、まず市内の小学校にポスターを貼りに行きました。わくわくしました!何人応募してくるのか、ドキドキしました!

 結果、34人の5・6年生が来てくれホッとしました。向日市で指導員をしていたといっても、かなりいい加減な指導でしたから、その当時はほとんど無かったサッカーの指導書を探しに、京都中の本屋さんをまわりました。

 でも、見つかりません!仕方なく腹を据えて、初めて仕事でサッカーを手探りで教えました。反応は私の感触ではイマイチで、予定の8日間が終わりました。

 間もなくして教えた子供達の何人かから年賀状が届き、そこにはこう記してありました。「もっと、サッカーを教えてほしい」と!!

 それからの数ヵ月、サッカースポーツ少年団を立ち上げるために、今の妻とのデートもおろそかに(昭和49年3月結婚しました)してまで、夜遅くまでいろんな方にお願いをしたりして、やっと昭和48年4月22日に発足出来たのでした。立ち上げ期に京都サッカー協会の会長の藤田静雄さん(メキシコオリンピック団長〜その後日本蹴球協会会長)に文句を言って、大声で叱責を受けたのも今思えば良き思い出であります。

 そして多くの仲間たちに出会え、その年の6月3日に指導員たちも自分のサッカーがしたいということで、長岡京サッカークラブを立ち上げたのでした。


 (1)長岡京サッカークラブ

 (2)長岡京市市長杯争奪サッカー大会

 (3)長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)


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