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プロフィール

親友:大伴

長岡京サッカークラブ 雑用係 山田 憲一

hito-7-1昭和40年秋 歌うは、all my loving 大伴と私

 

 私と大伴とは、中学校から大学までと、それ以降の人生すべて、その時々の密度の違いはあるにしても、ずーと一緒であった。

 中学2年生で同じクラスで、何となく気が合い、良く洋画とかを一緒に見に行っていた。そして、高校入学後、私は中学の時、野球をしていたのだが、大伴が先にサッカー部に入部し、どこに入るか迷っていた私を誘ったのがそもそもサッカーとの付き合いの始まりだった。



 しかし、サッカーだけでなく高校1年生のときには、一緒にビートルズにはまっていたので、バンドを立ち上げ、サッカー部の後の3年生のときにキャプテンになった宮沢君(サイドギター)と、柔道部の川島君(ドラムス)と今やステーキの名人となり、よくテレビに出ている、くいんしんぼーな山中君(マネージャー)の5人で、私の西京極の家で練習をしたもんだ。(1回もステージに立てなかったが)

 サッカーが忙しくなり、バンドどころでなくなって、2年生の時のレギュラー争いでは、私は軽く大伴に勝ったので(その当時大伴はへただった!)恨まれたのも、懐かしい思い出である。

 そして、大学卒業後、大伴はなんとびっくりの公務員に、私は家業を継いで電気屋になり、すこし生活にも余裕が出来たころ、またまた大伴に誘われて今はすごいクラブになった、長岡京クラブへの入部を勧められた。

 時間もあったし、好ききなことだったので、毎週月曜と土曜の夜、吉祥院グランドに通い、そのあと所帯を持った大伴んちへ行き、夕飯を頂くのが何年か続いたのを、覚えている。ちなみに私専用のおちゃわんとお箸があり、それを思うと、大伴の妻、純子さんには感謝している。

 そして、わたしも結婚し、長岡京クラブの活動が、今や私の生活の柱になっていることを思うと、よくぞ、誘ってくれた大伴!である。
 本当は感謝しているのだ!

 そして、選挙のときには、車をはじめ電機関係の設備を私に頼ってくれて、出番をいただいている、今日この頃なのだ!

 

hito-7-2昭和40年秋 右から 宮沢、山中、私(ベース&ボーカル)、川島、
大伴(リードギター&ボーカル)

hito-7-3昭和41年春 比叡山をバックに、同志社高校サッカー部の同期のメンバーと
後列中央・私、前列右端・大伴

hito-7-4最近の公式戦で、2人一緒に交替で入ります!
(背番号01・私、背番号100・大伴)

hito-7-5最近の公式戦ハーフタイムでのひとコマ。
中央ペットボトルを持ち座っている私と100番大伴

 

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