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プロフィール
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大伴先輩

長岡京SS 4年生担当 山下 昌行

hito-6-1平成21年7月の私たち 大伴さん59歳 私57歳

 「こらー 大伴 こてこて持つなーーー!!」

 昭和42年4月私は同志社高校サッカー部に入部しました。
 何も分からないまま3年生達の試合が、そこに浜先生の大きな声がグランドに響きます。
 「こらー 大伴……」それが何回も何回も…。
 少しずつですがサッカーを分かってきたときに気づきました「あっそうかそういうことか」。

 インステップキックとスライディングタックルの鬼、超硬派のMキャプテン。まっすぐ走らしたらすごく速いが行ったきり戻って来ないH先輩。横幅があるせいか上に弱いGKのI先輩。当時のままの硬い体で今も現役プレーヤーのY先輩。抜群のテクニッシャンでしたが国体には出られなかったK先輩。そしてコテコテキープの超軟派・大伴先輩。



 個性豊な3年生たちばかりの中で1年生には苦しい練習ばかりのサッカー生活でしたが今振り返ると本当に楽しい時期でした。
 今でもこの年の1,2,3年生は仲が良く集まっては当時の話に花が咲きます。

 昭和48年大伴先輩は長岡京市にスポーツ少年団を立ち上げ、そのとき本当に僅かの期間でしたがお手伝いをさせていただきました。
 その後私は社会人となりサッカーとも全く縁がなくなりました。

 平成17年10月22日長岡京市内の焼肉屋で高校当時の3,2,1年生が集結(といっても3人ですが)、話しているうちに、どういう展開か「長岡京SS見に来たら」と話がトントン、私もついつい調子に乗って「了解」などと口をすべらし、気がつけば次の週には年長さんのお相手をさせていただいていました。

 今思えば大伴先輩のリップサービスだったのか、話しているうちに網を打たれたのか。どうも大伴先輩は中々の策士で巧妙な作戦にどうやら乗ってしまい、気がついたときにはもう遅く首まで嵌ってしまい今では大伴先輩に意見まで垂れるようになってしまいました。

 試合に行く道中など二人で話す機会も多く、特に長岡京SSを立ち上げて三十数年の話は本当に苦悩と苦闘の連続に思えます。
 しかしそんななか子供達の輝く目を見た大伴先輩は苦悩や苦闘以上の感動や感激を体験されたからこそ続けられてきたと思います。

 酒を飲むと最初は山下コーチ、それが山下君、さらに「なあ山下!」になるともう酔ってます。 酒にはだらしがありません、みなさん気をつけて下さい。いつセクハラを起こすかもしれません、女性のみなさん少々触られても許してあげてください。
 本人も通風と分か?はいるものの「焼酎は大丈夫」などと宣わっていますが酒に変わりなく時々痛い目に逢うのも「それ見たことか」と内心ニヤッとしています。

 大伴先輩、言っておきますがもう4年生と1対1をしたら勝てません。無理しないでください。でもいつまでも子供達とサッカーを楽しむ気持ちは忘れずに。

 「大伴団長! こてこて持たんとパスしてください!」こんな子供達の声がいつまでも聞こえますよう心から願っています。

 

hito-6-2昭和48年春 サッカー少年団立ち上げ後、間もない頃、
長岡中グランドで
後列右はし  21歳の私    
中央     23歳の大伴さん 
後列左端   25歳の河村コーチ

hito-6-3昭和42年夏 同志社高校サッカー部(1・2年生)と
向陽クラブとの試合後向日市第2向陽小グランドにて
後列右から2人目 1年生の私     
前列左から4人目 3年生の大伴さん  
前列左から3人目 3年生の山田憲一さん

 

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