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プロフィール » サッカーのこと » 向日町でのサッカー時代 »

 たまたま、父が向日町(当時はまだ、町であった)の町会議員をしており、体育振興会の役員をしていた関係で、『向日町でサッカー少年団を立ち上げたいのだが、誰か経験者おらんかー』の呼びかけの網に、みごとすぐに引っかかり、その当時は3年生でプレーにも自信がついてきたこともあり、二つ返事で指導員になることを引き受けました。

 今から考えると、すごい人たちが集まっていました。町のえらいさん、体育振興会で何年も苦労してきた人、サッカーでいえば、少し前の全国大会優勝(山城高校)のときのキャップテンとそのライバルの西京商業のキャップテンとか、そうそうたるメンバーでありました。

 ほんと世間知らずの高校生は、いい目をさせて頂きました。サッカーに関しては言いたい放題。静岡(たぶん、藤枝市だと思う)に視察に連れてもらっては、えらそうに言って飲み代は(*当時高校生:時効)全部ただ。ときには、某先輩に祇園でおごってもらい一人もてました。(若いから)

 でも、その当時、小学生だった子供達(私とは5〜6歳ぐらいの差、つまり今は40代後半のいいおっさん達)には、その当時誰も教えなかったフェイントばかり教えていた。自分がよりうまくなるために…、この当時に実は教えることは教わることという、教育の基本(そこまで難しくは考えなかったが)が、実体験としてわかってきたような感じでした。

 だから楽しかったしおもしろかった。しかも指導員を中心に創った向陽クラブという社会人のサッカークラブで、10番でエースをやらせていただきました。当時まだ京都社会人リーグも発足して間もないころで、今思えばレベルも低かったし、私にして加盟2年後の2部リーグで得点王になり、有頂天でありました。いずれにせよ私とサッカーのわくわくした初恋期でありました。

 

soccer21向日町サッカースポーツ少年団発足式記念試合(昭和42年 春)で
審判を勤める。この子らは今はたぶん50歳前

 

soccer22少年団発足式にて。左から森邦雄先生、葬儀店の竹田さん、米屋の上羽さん、
市の幹部の善さん、私(唯一パンツ)、全日本優勝主将の三好さん、中山さん、
そして今ジョイフルFCの渡辺さん、市の幹部島さん 等々

 

soccer23向陽クラブとの試合に来てくれた同志社高校サッカー部の1年、2年の後輩たちと
同期の山田さん(前列左から三番目、四番目が私)

 

soccer24向陽クラブ 対 ダイハツ(昭和43年)私の高校の先輩の安藤さん(関西で
トップのセンターバック) をフェイントで裏をとった瞬間の写真。背番号10

 

soccer25向陽クラブ 対 長岡町役場(昭和44年)
手前は小川さん右むこうは若き河村弘美さん

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