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大伴氏と共にサッカー人生、

邁進中!?

長岡京サッカースポーツ少年団副団長 河村 弘美

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 大伴氏との出会いは、昭和48年の夏に、当時勤務されていた教育委員会の取組として、小学生を対象としたサッカー教室を開催することになり、市役所サッカー部に所属していた関係で、指導者としてお手伝いを頼まれたことでした。

 そして教室が終了し子供達のサッカーへの興味やもっと教えてほしいとの思いから、サッカースポーツ少年団を組織し、長岡京サッカースポーツ少年団が発足したのでした。

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歴代子供会会長からの一言

平成元年度子供会会長 村越 明美

 

kodomokai01※写真は平成5年度の八条ヶ丘子供会サッカーのメンバー。
今は全員20才以上です。

 

 私が子供会の会長をしたのは、今から8年前の平成元年で、我が家が盛岡から長岡京へ引っ越しをして、2年目のことでした。

 はじめは自治会のお手伝いくらいの軽い気持ちで号棟代表を引き受けたのですが、運がよいのか(?)大役が当たってしまい、3日間、夜も眠れず悩みました。
 しかし始まってみるとくよくよ悩んでいる暇もなく、次から次へといろいろな方に助けていただいて、何とか行事をこなし、半年もすると役員同志、和気あいあいと楽しく活動できるようになっていました。

 そんな頃、冬期球技大会のサッカーのコーチを、前年度に引き続き、大伴さんにお願いしました。
 大伴さんは、管理事務所の2階に子供達を集め、子供会のサッカーチームの目標、練習についてを、わかりやすく、話して下さいました。どの子も、とても真剣に聞いていました。いつもの子供会の活動の時と大違いです。

 さて練習が始まり、驚いたことは、毎日の早朝練習で、ほとんどの子がまだ暗いうちから集まり、上級生が下級生を指導して、皆楽しそうに練習している姿でした。
 お母さん方に聞いてみると、自分から起きて行っているとのことで、冬に向かって寒くなってきて起きづらいのに、皆のやる気に感心しました。

 もう一つは大伴さんの方針で、全員試合に出場できるということです。
 子供達の中には、ずっと前からサッカーをやっていて、とても上手な子供もいれば、ついこの間始めたばかりで、ルールもよくわからない子もいます。そういう子でも、試合に出場できるのです。これは子供達にとても励みになることだと思います。余談ですが、うちの長男も4年生から参加して、サッカーがおもしろくなり、サッカー少年団に入り、中学へ行っても他の校区からの友人が多く、楽しい中学生活が送れました。このことは、今でも大伴さんに感謝しています。

 話が横道にそれましたが、その年は、校区大会で見事優勝し、中央大会へ進みましたが、第一試合で優勝チームと当たり、惜しくも敗退しました。あの時の皆の悔し涙は忘れられません。

 この度、大伴さんがサッカーのコーチを引き受けられて10年、ということをうかがいそんな長い間、八条ヶ丘の子供達を支えて下さっているんだと思いますと、頭が下がる思いがします。寒い時の早朝練習、お休みを返上しての練習試合、本当に大変なことだと思います。それに試合には、いつも奥様がそっと見守っていらっしゃいました。陰から支えてくださる奥様にも感謝いたします。そして何よりも八条ヶ丘の子供達は、何て幸せなんだろうと思います。

 この春、我が家は埼玉へ引っ越しをしましたが、遠く離れた土地から、長岡京をなつかしく思いながら、大伴コーチ率いるサッカーチームにエールを送りたいと思います。

☆この文章は平成9年12月、八条ヶ丘子供会が作製された冊子「朝練でイレブン」に投稿された文書で、ご本人の許可を得て掲載しました。


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大伴さんに勝つために

北開田子供会サッカー部コーチより

O.K.氏

 

 僕が大伴さんと初めて出会ったのは、まだ小学生の頃、サッカーなんてしたこともなくて野球ばかりしていた頃でした。

 当時北開田児童館に来られていた大伴さんにサッカーのおもしろさを教えられ、北開田の純粋だった僕等はすぐに夢中になり(洗脳され?)早朝練習にも毎日参加し、日毎にサッカーと大伴さんにハマっていきました。

 その頃の校区大会は夏はソフトボール、冬はサッカーでしたが、ソフトボールは僕等にとってはどうでもよく、1年中、朝からサッカー、学校でもサッカー、放課後もサッカー、遊びといえばサッカーでした。
 大伴さんのおかげで5年生、6年生と2年連続で校区大会で優勝、中央大会でも優勝できました。

 大伴さんにはサッカー以外のこともいろいろ教えてもらいましたが、今思えば、あの頃大伴さんが他のことを僕達に教えていたら、きっと僕等はそれに熱中したでしょう。それ程僕達の中には大伴さんに対してあこがれのようなものがあったし、たまたまそれがサッカーだったんです。

 とにかく、今こうして子供達にサッカーを教える立場になり、本格的に北開田のサッカークラブに関わりだして、初めて八条と対戦したのが今から4年前。その頃は何度やっても勝てない八条に、子供達の中にもあきらめムードが漂っていて、校区大会でもやはり負けました。しかし僕としては八条に負けたというよりは、大伴さんに負けた、という気持ちの方が大きかったです。昔は教える側と教わる側でしたが、指導者として同じ立場に立った今、『大伴さんにだけは負けたくない。大伴さんの教えたチームに勝つチームを作ろう。』と、3年前から本格的に八条を目標に置き、1年を通して練習を始めました。

 しかし3年前には結果が出ず、2年前には決勝で1対1の引き分けでPK合戦の結果、八条の優勝。この時は子供達がどれだけ頑張ってきたかずっと見てきただけに泣きそうになりました。僕自身も、八条にはどうやっても勝てないのでは?、と思いそうになりました。この時から僕等もこれまでの指導方法を反省、「こうしろ!ああしろ」ではなく、もっと子供達の自主性に任せようということで、練習の日程から練習方法、試合のポジションまで、『練習に来た子から試合に出す』ということ以外は全部子供達に任せました。そして昨年とうとう決勝で八条を破り優勝することができました。勝てなかった年には悔しくて泣きそうになって、『勝ったらもっと感動するんやろな〜』と思っていたのに、勝ったら『こんなもんなの?』みたいな、なにかあっけない感じでした。

 最近、ほとんどの地域と同様に、北開田でも子供の数が減って、1チーム作るだけでも大変な上、サッカーの好きな子は少年団に入り、練習には参加しないで、大会当日にだけ来たり、さらに校区大会には目も向けない子も出てきて、チームとして成り立たないこともありますが、校区大会には1年生から6年生までが一つのチームで練習し、試合に臨むという点で、少年団にはない魅力があり、それがおもしろいんだと思います。

 最後になりましたが、八条、北開田ともにこれからも魅力あるチームが出来ること、そして大伴さんを越えるような新しい指導者が育つことを期待しています。

kodomokai02児童館ではこんなことばかり子供達に教えていました。懐かしい写真です。

☆この文章は平成9年12月、八条ヶ丘子供会が作製された冊子「朝練でイレブン」に投稿された文書で、ご本人の許可を得て掲載しました。


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